愛とダーリンと私

28歳年の差婚国際カップルがAUSでのんびり暮らすなかで感じた見つけた、不思議な自然な家族や愛の形について語ります。かなり不定期更新ですが、せきららな気持ちを綴りますので、よろしくお願いします。

私の歪んだ恋愛観 ~恋愛は母を不幸にする~

私はものすごく歪んだ恋愛観を持っていました。

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でも、それを救ってくれたのが28歳年上の旦那です。

 

私の生い立ち

私は小学1年生のときに父親を事故で亡くしました。

当時母は30代半ばで無職、私を含めた娘9才、7才、4才がいました。私は三姉妹の真ん中です。

父を亡くした時は東京に住んでいましたが、突如女手一つ3人の子どもを育てることになった母は、実家のある大阪へ戻ることに決断。それ以来、ずっと祖父母の家の近くに住んでいます。

母は高卒で大した資格もなく、でも私たち娘と過ごす時間も最大限にしたいという思いから、ずっとパートで家計を支えていました。

『 父親がいないから』私学に行けない、旅行に行けないなど『〇〇ができない』という思いを娘たちに絶対にさせたくなかったらしく、片親のわりにけっこういい生活を送らせてもらいました。

母の両親のほかにも兄妹も大阪なので歳の近いイトコも近くにおり、夏休みには3家族と祖父母でキャンプに行ったり、土日にはBBQをしたりと父がいないことを寂しがるような幼少期は過ごしていません。

三姉妹の中でも私は特に甘えん坊で、母が大好きで、母の期待に応えることが私の喜びでした。

私の中では、毎日一生懸命働く母を裏切るような行為や心配させるようなことは絶対にしてはいけないという思いが強くあり、学校では勉強も運動も頑張り、友達関係も良好に過ごしていました。

母はボーイッシュな感じが好きなので、母の勧める服を着て、ベリーショートにもして、女の子らしい振る舞いも避けるようにしていました。

ボーイッシュの方がいいと母が言うなら間違いないだろうし、母が喜ぶならそれでいいと。

そんなボーイッシュな私が確立したのは小学校高学年の頃。それ以来、ベリーショートはしていないものの中学、高校、大学、社会人になってもボーイッシュを貫きました。

私の言うボーイッシュとは、

  • 服装はカジュアル(スカートはありえない)
  • 体育会系
  • 化粧しない
  • 恋愛禁止

でした。

運動神経も良い方だったので中高大と運動系の部活三昧。大学はかなり専門的な所まで行きました。

体育会系とは言えども勉強もかなり頑張ったので、高校の成績は300人いる学年の中で常にトップ5入り、しかもそれなりの進学校の理系。なのに大学が体育会系で、誰しもがえっ?という感じでしたが。。。

そんな決断も母からすると『あなたらしい決断!』と応援してもらえ、母が言うなら間違いないと私も確信。

18~22歳の大学生活は実家を離れ、田舎で化粧もせず、ジャージで過ごしました。

社会人になり実家へ戻り、仕事もするようになりさすがに化粧は少しだけしましたが、基本スタンスは変わりませんでした。

 

恋愛は母を不幸にする

旦那に出会うまでの30年以上人生、まともに恋愛をしたことがありませんでした。

父を亡くしてから私の中では『お母さんはひとりぼっちになったけど、お父さんのことをずっと愛し続ける。だから私がひとりぼっちのお母さんを支えるんだ!』という強い思いがありました。

だから、お母さんが寂しい思いをしないように『女だけでもやっていける生活』が円滑になるよう家事もたくさん手伝いました。

彼氏なんて作ったら、お母さんが一人になってしまうからそんなのはダメだと勝手に思っていました。

それに、

恋愛はボーイッシュに反するし、ボーイッシュに反することは母に反することになる。

恋愛は母を不幸にする。

そして、それを決定付ける出来事が起きました。

※私の持つような『母に対しての思い』は、三姉妹でも私だけのものです。姉や妹にはありません。

 

姉の恋

私の2つ上の姉が高校生の頃、初めての彼氏が出来ました。彼は年上の大学生とのこと。

母はその交際に大反対して、姉は泣く泣く別れました。

そのときの姉の号泣した姿、母の辛そうな顔を強烈に覚えています。

母が反対した理由は知りませんが、私の中では『やっぱり恋愛は母を心配させて不幸にするんだ』という思いが湧いてきました。

 

手遅れの恋愛

そしてその思いは強くなり、高校生活、実家を離れての大学生活でちゃんとした恋愛はしませんでした。いいなと思う人がいても、気持ちを伝えることもなく友達止まり。

大学で周りが彼氏持ちだらけなのに嫌気さして、一度だけ酒の勢いで始まった彼氏みたいな存在はいましたが、そんなものはすぐ破局。

もちろんそのことは母には内緒でした。

多感な年代をボーイッシュで貫いてきた私ですが、やはり女の子らしくありたい、男子に甘えてみたい、みんなのように彼氏が欲しいと思ったこともありました。

しかし、女の子らしく振る舞う方法も分からなければ、家族や友達の中でも私のボーイッシュキャラが確立していたので、今更感が私を諦めさせました。

まさに恋愛するには手遅れ状態。

そして何より、母がボーイッシュな私を好いてくれているのが支えでした。

 

母の裏切り

こんな感じで、私は母の好むボーイッシュを貫いてきました。

別に無理意地されたわけでもなく、『 大好きな母がボーイッシュ好きなら、私もボーイッシュが好き』という感覚で始まりました。

勉強も運動も友達関係も良好で、けっこう何でも器用にこなせる方で、学校生活に不自由もなく心の底から幸せでした。

これら全ての根底は、女手一つ育ててくれた母への感謝です。

そして、父を亡くしてから私の心の中にあった『生涯父を愛し続ける』に徹する母を尊敬していました。

 

しかし、それがある日裏切られていることを知り、私は大ショックを受けることとなります。

長くなりそうなので、続きは次回へ。

 

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