大好きな母のために、勉強も運動も友達関係も頑張ってきた。
母が似合っていると言うから、ボーイッシュも貫いてきた。
だから、女の子らしくして恋愛するだなんて、母の理想の娘ではない。
『 恋愛は母を不幸にする』と思っていた。
なのに、まさかの裏切りがあった。
母の裏切り
大学は実家を出て一人暮らしをしていました。
夏休みには一ヶ月ほど帰省をし、大阪暮らしを満喫。母とも一緒に買い物や食事、映画館に行ったりとしていました。
高校生の頃は土日とも部活三昧で母と出かけることは少なかったので、帰省中のお出かけはとても嬉しかったです。
ただ気になったのが、夜になると毎晩のように誰かと電話をしていること。友達なんだろうけど、その人と話す時はいつも部屋に籠る母。
ある日、電話から漏れる声を聞いてしまいました。
男だ。
血の気が引いてクラクラしたのを覚えています。
その後は母の行動が気になって仕方がありませんでした。
でも結局母には何も聞けず、母からも何もなく、確信のないまま帰省期間は過ぎていきました。
次の冬の帰省がやってきました。
相変わらず、母の夜の電話は続いていました。
そして、ついに母から私たち三姉妹に
会ってほしい人がいる。
と告げられました。
このとき姉と妹は実家暮らしでだったので、その人の存在には確実に気付いていたようですが、母の口から伝えられたのは初めてだったようです。
母に告げられてから自分や姉妹がどういう反応をしたのか覚えていませんが、私はとにかくショックと怒りの感情があったのを覚えています。
だって母がボーイッシュが好きだから、『恋愛は母を不幸にする』から、母の期待に応えるのに必死で頑張ってきたのに、まさかの母が恋愛中とは・・・
母の告白からどのくらい経ったか覚えていませんが、母とその人(以下A)と三姉妹とで食事をしました。
悪い人ではなさそうだけど、私も姉も妹もちょっと引き気味でした。
それから母とAは週末に出かけたりしていたようですが、大学に戻った私には詳細は分かりませんでした。というか、知りたくもありませんでした。
しかし、次の帰省時にはAがうちに来て食事するようになっており、帰省の度にAが我が家に溶け込んでいるのが分かりました。
姉は元から平和主義者なので、上手く話を合わせてヨイショしており、妹は一匹狼タイプなので終始誰に対してもクール。私はAに会う回数も少ないし、母の裏切りの原因の人間として嫌いだったので、極力避けていました。
いつか別れることを期待しながら・・・
息苦しい週末と苛立ち
大学と通信大学を卒業し、5年ぶりに実家で生活し始めました。
その頃には毎週末のようにAが来て食事を一緒に食べ、たまに泊まって帰るようになりました。(Aの仕事は土日が休み)
Aとは極力会いたくないので、できるだけ週末に予定を入れたり、食事後は部屋に籠ったりとしていました。
が、Aは声が大きくお喋りです。
イビキもうるさい。
私は仕事が恐ろしく忙しいのに、Aに会いたくないがないためにわざわざ週末に予定を入れて、部屋で残りの仕事をしようにもうるさい。
正直、Aの存在はかなり苛立ちました。
でも、母がAと一緒で幸せならばと思うとそう邪険にもできないしと、ほどよく距離をとることに徹しました。
私が実家へ戻って6年間、毎週末は我慢でした。
惨めなアラサー
この実家に戻っての6年間、私にはもちろん彼氏などいませんでした。
思春期をボーイッシュで貫き、いまさら恋愛の仕方も分からない男勝りのアラサー女。
気が狂ったように仕事に没頭し、彼氏なんて作っている暇がないというのが言い訳のようでした。
平和主義の姉は結婚して出て行き、一匹狼の妹には常に彼氏がいて、私には誰もおらず。
女友達はたくさんいたので別に寂しいとかはなかったのですが、クリスマスだけは特別な気持ちになりました。
母とAがプレゼントを送り合うのを見てものすごく羨ましく思い、クリスマスディナーに誘われ惨めな気持ちになり、そしてどうしようもない虚しさが襲ってきました。
密かな夢
仕事に疲れ、週末にはAに疲れ、これを一生続けるかと思うと精神的に病んでしまうのではないかと思うようになりました。
30歳に近づくにつれ、傍から見た私は逞しくなる一方でしたが、それとは逆に本当は人に甘えたいという願望が大きくなっていきました。
そこで私が密かに夢見ていたのが、『この惨めな私の過去も現在もひっくるめて愛してくれる器の大きな人に出会って、自分は仕事も何もかもどうでもいいと思えるくらいその人に夢中になって、そしてその人が今の私の状況から強引にでも引き出してくれる。』というものでした。
自分では脱却できない状態。誰かの救いを求めるという密かな夢見るアラサー女でした。
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