愛とダーリンと私

28歳年の差婚国際カップルがAUSでのんびり暮らすなかで感じた見つけた、不思議な自然な家族や愛の形について語ります。かなり不定期更新ですが、せきららな気持ちを綴りますので、よろしくお願いします。

自分が好き。自分の人生が好き。

前回の話はこちら↓↓↓

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彼から離れて、以前に計画していたオーストラリア一周旅を1人で続けて欲しいという母。

彼から離れたくないし、計画は変わるものだという私。

話は平行線のままというか、母とは絶縁状態になってしまったので、ここを修復せずには前へは進めないと思い、妥協策として1週間だけ彼から離れて一人旅することにしました。

そのことを姉に伝えると、1週間だけってあんまり意味無くない?とネガティブ意見をもらいましたが、当時の私としてはそれが精一杯でした。

1週間だけの一人旅のことは姉から母に伝えてもらいましたが、姉いわく母からは特にコメントはなかったそうです。

 

彼と会わない1週間で考えた、私が母へ向けた言葉

カナダのワーホリ時代の友達が、当時南オーストラリア州で仕事をしているとの事だったので、彼女の訪問を兼ねて1週間、彼から離れて旅をしました。(友達と過ごしたのは2日間だけ)

これまで彼と母、姉としかこの結婚話について話していなかったので、友達の意見がどうであれ、話が出来きたことで少し気持ちが軽くなりました。

彼とは毎日電話して、会いたい気持ちが増すばかり。

しかし、この一人旅では自分と向き合って、この結婚は正しいのか、私が母へ向けた言葉は正しかったのか、母の気持ちをもっと考えるべきかと自問自答しながら過ごしました。

私が母へ向けた言葉とは

これまでお母さんの気持ちを優先して生きてきた。せっかく見つけた幸せくらい掴ませてよ!!!

というもの。
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この言葉には、私が30年間封印してきた恋愛やファッション、担ってきたキャラクターなどに対する歪んだ鬱憤がつまっていました。

そして、その鬱憤ひとつずつを全て母に投げつけました。

そして、母は壊れてしまい絶縁状態に至ったわけです。

正直この旅では、ほとんどの時間をこの母へ向けた言葉について考えていました。

自分のこれまでの人生を振り返ると、どうしようもないくらい幸せな人生でした。

彼との結婚を反対された反動で、母を納得させようとあれこれと鬱積したものを吐き出したものの、母へは感謝しかありません。

母へ向けた言葉では、『母の気持ちを優先してきた』ということをマイナス的に言い放ちましたが、母からの期待に応えることに頑張ってきたおかげで、負けず嫌いで努力することを身につけることができた。文武両道で、友だちもたくさんできた。

私の人格形成には『母の気持ち』が切っても切り離せないのです。

そしてそんな人格を持った私は、彼という最高のパートナーと意気投合し、未来に進もうとしている。

オーストラリアへ最後のワーホリへ行くことにも、何ひとつ文句を言わず送り出してくれた母。

だから今の私がここにある。

これまでも分かってはいたものの、

私は自分自身が、そして自分の人生が大好きだ

と再確信しました。

 

これらの思いを手紙に綴り、旅先から母へ送りました。

 

それから数日後、彼の元へ戻りました。

空港まで迎えに来てくれた彼は、私の好きな花である黄色のガーベラの鉢植えをプレゼントしてくれました。

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実はこのときが、私の人生で初めて男性から花をもらった瞬間です。

憧れの瞬間が鉢植えとはちょっと拍子抜けしてしまいましたが、『鉢植えならこれからも育てられるでしょ。』と、彼らしい言葉をもらい、彼のことを更に好きになりました。 

 

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